青天井の人
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青天井の人、という人がいます。
これはもう、会って話してみればわかる、という類のものなのですが。
うーん、天井がない。
思考や発想、行動、着想、スコーンと突き抜けちゃっているのですね。
大抵の人は、天井を高くするような成長を歩みます。
それだけでも開放感や許容できるものはだいぶ生まれますし、経験を積み重ねたり、学んだりして、自分の限界というような天井を高く、高くしていきます。
まぁ、僕もこのタイプの歩みをしていて、吹き抜け2階、吹き抜け3階くらいの開放感になってきたなぁ、と思うのです。
それはそれで普通に住んだり、生活する分には快適で、自由さが生まれるところはあるのですが、青天井の人というのは、それこそ天井がないのですね。
限界というものを発想しない。
須田仁之『恋愛依存症のボクが社畜になって見つけた人生の泳ぎ方』の中で出てくる、孫正義さんのエピソードなんか読んでいると、うわ、青天井だなぁ、と感じます。
それはやっぱり羨ましいというか、そういう発想や行動力、決断ができちゃうっていうのは、いいですよね。
そういう世界に行ってみたいなと思う時、裸になれるか、恥をどれだけかけるか、なんだと感じます。
コツコツと建物を建てて、というのとは違います。
土台を整えて、その上に大きな建物を建てて、天井を高くして、という発想とは違うのですね。きっと。
どれだけ大きくしようとそこにあるのは、天井があるという前提です。
どれだけ立派な豪邸を建てようと、タワーマンションを建てようと、城を建てようと、大抵そこには天井があります。
そうではなく、建物を壊す発想、解体する行動や解体する学びが、自然と出てくるんですね。
積み重ねるのは気持ち的には楽で安心なのですが、壊す方は、結構怖いものです。
積み重ねては、壊し、壊し、壊し、壊し。
学びほぐしと呼ばれるアンラーニング(unlerning)とも質的に異なるものがあるなぁ、と思います。
人間の生の中では、能動的な経験だけではなく、個人の力ではどうにもできない受動的な経験が多々あり、そういう受動的な経験についての引き受け方でも、変わってくるのだろうなと思います。
ま、青天井の人という発想があり、青天井にするには、というところから物事を見てみると変わることもあるかと思います。
<まとめ>
■世の中には、青天井の人がいる。思考や想像、行動や結果、が突き抜けちゃっている。
■天井を高くするという発想とは違う次元がある。成長はある意味、天井を高くすることに近いのだけれど、それでも、天井があるのとないのとでは話が違う。
■天井を高くするのではなく、天井を壊せないか。天井がない状態を最初から作れないか。そういう地点から見たときに出てくる学びもある。