私たちの思考も心も文化の影響を強く受ける

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文化がなければ、言葉は通じない。

私たちが、言葉を用いて思考し、そして現実を構成していくのと同時にというか、その背景には、文化があります。

文化がなければ、言葉を用いることもできず、思考することもままなりません。
知らず識らずのうちに、私たちは文化の影響を受けているのです。

現実と言葉は一対一の対応関係を持たない、というのが、構成主義的な考え方になります。

たまたま、りんごを日本ではりんごと名付け、
西洋ではappleと名付けているわけですが、
あの赤い実に関する名前は、なんだっていいわけです。

あの赤い実を、テレビと名付けることも、太郎と名付けることもできるわけで、「りんご」や「apple」である必然性はどこにもないのです。

それ以外の現実の切り取り方にしてもそうです。

涙を流す動作に関して、泣くという言語をあてはめる必要性もどこにもなく、もっと違う言語体系や思考体系や文化体系からしたら、その場面を切り取る言葉さえ必要ないのかもしれません。

僕は、子どもの頃、数字が1~10の10進法になっているのが不思議に感じたことがありました。

どうしてこうでなければならないのか。
どうしてこのような切り取り方になっているのだろうか、と。

世界を描写するのに、

こうでなければならないという言語はなく、
こうでなければならないという理論もなく、
こうでなければならないという科学もありません。

物理学などの科学はそのような記述の仕方が便利で、宇宙に行けたり、様々な発展に貢献していますが、それすらも、とある人間の文化や共同体が元になって発展させてきたもので、必然性はないのですね。

どんな言葉でも、どんな理論でも、この世界を表現するには足りない。

これが圧倒的に突きつけられることであり、私たちの思考も言語も、文化や共同体の影響を強く受けて、1つのパースペクティブを構成しています。

その文化や共同体の枠組みの中で、ものを見たり、考えたり、言葉を発したりしていて、文化に返していっているわけです。

私たちの思考も、心も、文化から自由ではない。

その地平に立って考えてみると、文化が豊かでなければ、言葉も思考もやせ細っていきますし、心も貧しくなっていくことを意味しています。

文化の影響は、思考、言語、心などに影響を与え、
思考、言語、心などが文化に影響を与えます。

とするなら、

家族、組織、会社、地域、日本、世界、

そこでの文化的土壌がどれだけ豊かか、どれだけ豊かにしようとしているか、が結構大切になってきます。

家族、組織、会社、地域、日本、
あなたのまわりを取り巻く共同体の文化は豊かですか?

<まとめ>

■言語は文化的に構成されている。
言語が文化をつくり、文化が言語をつくる。

■世界をどのように表現するにしても、圧倒的にその力が私たちにはない。
言語も、科学も、理論も、世界を一義的に定めることはできない。

■そうでなければならないという見方はなく、
共同体、文化、言語などによって、世界の見方は規定されている。
そして、共同体、文化、言語によって、思考も心も影響を受ける。
文化を豊かにすることは、思考と心を豊かにすることでもある。

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