好きは感情、愛は意志

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今日は、

成れる会大阪マーケティング塾主催による志を語る会で、
「愛」について語りました。

愛というテーマは、深いですね。

今日はちょっと、さわりだけ。

愛をめぐる言説は色々ありますね。

恋は下心、愛は真心なんていうのは、よく表現したものだと思います。
(恋という漢字は下に心がつくから、一方で愛という漢字では真ん中に心がつくから)

さて、

今日語った中では、

「好き」というのは感情であり、

「愛」というのは、行為であり、意志であり、実践であるということでした。

「好きとは言えるけれども、

愛するとはなかなか言えないなぁ」

「愛するってどういうことなんだろう」

というような会話がありましたね。

好きとか、いいなぁ、という感情と違って、

愛は意志を伴います。

相手へのコミットメントを求めるものでもあります。

他に意思を求められる行為としては、

尊敬

というものがあります。

相手に対する好意というような感情に、

自分の意志や働きかけでもある尊敬。

そういうのがあわさるところに「愛する」というものがあります。

愛とは、意志であり、行為であり、表現であり、実践です。

マインドセットであり、

コミットメントを伴うものであり、

相手の人生にこちらから関わるものであり、

与えるものであり、

包み込むものです。


結婚相手がいないという場合、

出会いがないのではなく、

愛するという実践が足りないということもあります。

愛の実践や人を愛する力がないままで、

人と表面的な出会いを繰り返しても、

それはお互いの人生への関わり合いにはならないでしょう。

いろんな愛があり、

いろんな要素があり、

いろんな力が求められるのが、愛の実践でもありますが、

ベースとしておさえておきたいのは、

愛は単なる感情的なものではなく、意志を伴うというものでしょうね。

自分を愛し、

家族を愛し、

同僚を愛し、

みんなを愛すると「決めて」行動してみるところに、

愛の実践のヒントってあります。

愛してくれるのを待つのではなく、

自分の意志の問題でガラッと世界は変わるものです。



<まとめ>

■好きとか、いいなとかいう好意という感情と、
愛には決定的に重要な側面がある。
それは、愛は意志であり、行為であり、実践であるということ。

■出会いがないのではなく、出会っているのに、
愛の実践をしていないだけということがある。
愛すると決めていないのだ。

■周囲の人を愛すると決めて、マインドセットして、
周囲の人の人生に関わり、人に与えること。
感情と、意志と、行為が重なり合うところに愛の実践がある。

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