抑圧されたものを再解放するということ

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とても深い旅をしてきました。

変容というのは、
そういうプロセスをたどるものなのかもしれません。

深く潜ること。

熟成されたワインが花開くように、
土の中に植えられた種が地上に目を出すように、
内側から湧き上がる力を感知するプロセスは、
時間と忍耐と愛に満ちています。

早すぎもせず、
遅すぎもせず、
ちょうどいいタイミングで、
然るべき時間に、然るべき場所に行き、然るべき人と出会う。

込み上げてくるのは、
情熱でもあり、思いでもあり、愛でもあり、魂からの言葉でもある。

頭の中の言語と会話をするのは上手になったのに、
まだまだ心の中の言葉や魂の言葉と会話をするというのは、
難しさを抱えているのかもしれませんね。

今日は娘の保育園の入園式に出席してきました。

小さな子どもたちが、
その体で自由に表現する遊び、
大きな声で歌う声、
思い思いに体を震わせるダンス。

そんな自己表現を見ていると、
とらわれていないなぁ、
というのを目の当たりにします。

そこには、
表現を制限するものがなく、
上手いも下手もなく、
ただ、身体と喜びがありました。

これが世界との関わり方なんだなぁ、と思うのです。

とっても原初的でもあり、
とってもシンプルでもあり、
とってもパワフルでもあり、
とっても遊びに満ちていて、
とってもダイナミクスがあり、
とっても不確実性に満ちていて、
とっても今を生きていて、
とってもセンシングであり、
とってもダンシングであり、
とってもスウィングに満ちていて、
とっても喜びに満ちていて、
とってもハートフル。

大人が抑圧しているものが、たくさんそこにはありました。

なんの意味があるの?
なんの役に立つの?
それって根拠は何?
それってお金になるの?
時間の無駄じゃないの?
バカじゃないの?

そうやって批判され、
抑圧され、
制限されていく領域に見るべきものを見た感じがします。

大人になる過程で抑圧してきたことも、
再び、その抑圧に気づくというプロセスに意味があるのだろうと思います。

再発見されるのを待っていたかのように出会うということに意味があり、
そこで再発見をし、
再解放していくということに学びがあるのだろうと思います。

再発見できるか。
再解放できるか。

それは、過去の自分を許し、新たなものを創造することでもあり、
どこかで潜るプロセスは必要だったのではないかなぁ、
と思うのです。

<まとめ>

■頭の中の言葉だけではなく、心や魂といった次元の言葉と会話する術を持つ必要があるだろう。

■知識基盤型社会の現代社会では抑圧されてきたものであり、それを再発見する旅が求められている。

■内側から湧き上がるままに、感じ、行動し、表現すること。
制限なくそれをすることは、自分の再発見でもあり、再解放でもある。

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