意味なき模倣という学習スタイル

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(Photo by rawpixel.com on Unsplash)

1歳過ぎの子どもを育てていると、その成長スピードには日々驚かされます。

そして、
言葉を覚えるのも、
ある行動を身につけるのも、
観察していると、意味なき模倣が多くを占めていることがよくわかって楽しいです。

学ぶ(学ぶ)とは、真似ぶ(まねぶ)であるというのは言い古されていますが、やはり、真似が多くを占めています。

しかも興味深いのは、その真似に、意味が伴っていないことですね。

当然、言葉の意味はわかっていませんから、言っていることを真似ています。

意味はわかっていないけれども、会話になります。

自分が家に帰ってきた時には、「おかえり」と言って、
誰かが帰ってきた時には、「ただいま」と言っています。

まぁ、逆ですし、意味はわかっていませんが、
そういうものなのだということで親の言葉を真似ているんですね。

歯磨き、
掃除機をかけるという行為、
そういったことも真似て身につけていっています。

言語の習得は、言語ゲームであり、
言語の意味を知るというよりは言語の使い方を身につけるということだと、ウィトゲンシュタインが指摘していますが、
いやぁ、まさにそれなんだなというのをまざまざと感じます。

2歳前なので、言葉も行動も意味はわかっていないけれども、
真似て、身につけるという学びのスタイルですね。

しかし、この学びの早いこと。

大人になるとどうしても、
言葉も行動も意味に囚われていくのですが、
乳幼児の学びは、意味から自由だというのが興味深いです。

それでも、大人の学びも、
意味なき模倣という学習は多くを占めています。
それも無意識のうちに。

葬式での振る舞い方、
会社の会議での振る舞い方、
発言の仕方、
営業の電話のかけ方、
受付の対応、
名刺交換などなど、
無意識のうちに周囲で行われていることを真似ているパターンが多々あります。

言葉を身につけていく過程、
何かができるようになる過程、
その中では、意味なんかわからなくても、
やっているうちに意味がわかってくることがたくさんあります。

そういう学び方から、
大人の学び方が問い直されることもあるのではないかと思います。

とりあえず真似てみることからできるようになることって、たくさんあります。

<まとめ>

■乳幼児の学びは、模倣に満ちている。
それも、言葉や行為の意味なんかわからず、考えもせずに、真似ているのである。

■言葉の学習も、言語の意味を学ぶというよりは、
言葉のやり取りの仕方を学ぶという側面がある。

■意味に囚われ過ぎると、学びが鈍るということがある。
意味なんか考えずに真似るというところから、無意識に学んでいることはたくさんあり、
それは半ば意識する形で、意味を問わずに学ぶというスタイルも取れるのである。

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