観察させてもらえる位置にいるか
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今日のテーマは、人は環境から学び取る、です。
教育や学習というと学校教育のイメージが強いかもしれませんね。
先生がいて、教える。
もしくは、師匠がいて弟子が教わる。
熟達者は、絶え間無い訓練の上で、専門的な知識を身につけていく。
ところが、人間の学びはそれだけだろうか、ということは、文化人類学などの知見も参考にしていくと、そうではないだろうということがわかってきます。
ウィトゲンシュタインの言語ゲーム、
ブルデューのハビトゥス、
レイヴ&ウェンガーの正統的周辺参加、
などは、模倣や真似を考える上で大切な観点です。
ここではなるべく難しい話を割愛してしまいますが、
人は意識的にせよ、無意識的にせよ、真似ている、
というのが興味深いところです。
例えば、レイヴ&ウェンガーの正統的周辺参加は、徒弟制における学びに関して、新しいものの見方を加えています。
弟子は師匠から学ぶ、
と考えられてきましたが、
いやいや、それだけじゃないでしょう、
ということを明確に示したのですね。
徒弟制や師弟関係において、
師匠から学ぶ以上に、
実は、先輩の弟子や同じ立場の弟子、
さらにはその空間にある道具やモノといったレパートリーを活用して学習していることを明らかにしています。
あたり前といえば、あたり前なのですが、
徒弟制や師弟関係に関して、視野を広げてくれる話として興味深いのです。
研究者の雑然とした机、古書や古典的な本が並んだ本棚、
一流の料理人のよく磨かれた包丁、食材の屑の切り口、
野球選手のグローブやスパイク、
ホテルの雰囲気、一流の品、
研究室ゼミの雰囲気、飲み会での語り、
漁師の海との向き合い方、
そういったものすべてを含めて、
私たちは、師匠や先生からだけではなく、
その場の空間、道具、仲間、雰囲気を手がかりに学習をしています。
師匠や先生から直接言われたことや指導されたことだけではなく、その人がいる環境が学びのリソース、レパートリーになっているのですね。
”それを見せてもらえるところにいる”
”それを観察できる位置にいる”
ということが、非常に重要なわけです。
その重要性がわかっているかわかっていないかで、学びに対する姿勢も学びの速度も違うのかもしれないと思います。
仕事の仕方や進め方を見せてもらえるなんて、とても贅沢なことですし、道具や部屋を見せてもらえることも、とても贅沢なことなのです。
<まとめ>
■教育や学習を狭義に捉えていると、教えてもらう、
指導してもらうとかになってしまうかもしれない。
■徒弟制や師弟関係の学びにおいて、直接的な指導だけではなく、
その環境にいさせてもらえることが実際には重要な意味を持っている。
■人は環境から多くの手がかりを得て学ぶのである。
使っている道具、仕事の痕跡、弟子たちの会話、その場の雰囲気、
それを観察させてもらえる位置にいることが実際には重要である。