人間の変容について迫る学問

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(Photo by rawpixel.com on Unsplash)

人間の変容に関するアプローチはたくさんあります。

教え方、学ばせ方、気づかせ方、考えさせ方、探究のさせ方、自分が得意とするパターン、
というのもありますね。

人は、自分が教えられたように人に教える、
というのはよく言われることですが、自然と業界内で慣習的に行われている指導というのもあります。

最近では、部活動の指導が批判されることが多いですが、体育会系のやり方、というのが代々続いてきて、あたり前のようにやってしまっていることも少なくありません。

人間の変容、ということに焦点をあてながら、教育をもっと広い視座から考えてみようというのがホリスティック臨床教育学の視点です。

人間の意識変容、意識変容学習について研究しているうちに、やっぱりこれくらいのパースペクティブは持っていた方が扱いやすいだろうなと思って、僕としては、最近、検討を重ねています。

今日も、
中川吉晴『ホリスティック臨床教育学 教育・心理療法・スピリチュアリティ』せせらぎ出版、2005年
を引用して考えてみます。

”ホリスティック臨床教育学が関心を寄せるのは「変容」(transformation)という現象である。

ここでいう変容は、教育と心理療法とスピリチュアリティの領域のなかで個別にとりあげられている変化の諸相をふくんでいる。

教育は陶冶・成長・発達・自己実現といった形成的変化を、心理療法は治癒・癒し・回復といった治療的変化を、そしてスピリチュアリティは覚醒・解放・悟りといった超越的変化をとらえてきた。”(p.26)

かねがね、
治療と教育はどこが違うのだろう、
修行と教育はどこが違うのだろう、
人材育成と教育はどこが違うのだろう、
大きな枠組みの中では合わせて考えられるのではないだろうか、と思ってきました。

もちろん、それぞれの狙いや哲学、効用は異なるのですが、領域ごとに分断されてしまっているものを改めて統合することができないか。

その際のキーワードとして、「変容」が挙げられているのは、個人的にはしっくりきます。

学びというよりも、変容という概念をもとにした時に、見えてくるものがあるでしょうね。

人は変わる。

その人の解放、あるいは、分断された生の統合。

バラバラになった社会の中で、もう一度、全人格を考えた時に、より大きな枠組みで捉え直すことができないかと僕も思います。

最近話題のティール組織も、まさにこの延長線上にあって、ホリスティックな視点とどう向き合っていくかは社会や時代の流れだと感じています。

<まとめ>
■教育、心理的治療、スピリチュアルな修行、いずれも人間の変容を扱っている。

■人間の変容に対するアプローチや哲学を大きな視点から捉えておくことは、日頃の教育実践や人材育成においても違った見方をもたらすことになるだろう。

■ホリスティックな全人格を考えるということは、バラバラになった社会の中で求められている視点であり、今後ますます向き合い方が問われることになってくるだろう。

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