宗教と霊性は区別して考える
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教育のスピリチュアリティを考える時、宗教と霊性は丁寧に区別して話をしていく必要があります。
この区別には、いろんな議論がありますが、中川吉晴『ホリスティック臨床教育学 教育・心理療法・スピリチュアリティ』せせらぎ出版、2005年では、以下のように書かれています。
”宗教というのは、
教義、儀礼、道徳的行動規範、象徴体系、組織等を備えた制度的な信仰システムのことを意味している。
これに対して霊性を構成するのは、個人の内的体験、体験をとおした自己の存在様式の変容、そして変容を導く修行プロセスなどである。
霊性とは、人が自己探究をとおして、自己の存在次元を深め、魂やスピリットの覚醒へといたるプロセスである。”( p.63)
宗教や信仰というのとは分けて、個人の内的な探究、変容を扱っていこうというわけですね。
そのため、「宗教的ではないスピリチュアル」というのが、近年は注目されてきています。
みんなで何かを信仰するのと違って、例えば、
滝や満天の星空を眺めたときに心打たれるようなこと、
山頂からの日の出を眺めて心動かされること、
ふとした中で、生かされていることを感じること、
そのような個人的な体験の中にも霊性があると考えてみるということです。
内面の探究については、どうしても科学的ではないということで遠ざけられがちですが、東洋思想や仏教などの知見も含めて丁寧に検討してみるとよいのではないかと思います。
宗教や霊性をめぐる議論や区別については、僕もそこまで詳しいわけではないのですが、宗教や信仰とは別の霊性を考えられるというのが、最初に知ったときには新鮮でした。
言われてみればあたり前のことなのですが、どうも教育学や実証主義的な科学に触れていると、スピリチュアルというものについては一括りにして遠ざけてしまいがちですからね。
宗教や信仰を否定しているのではなく、教育として考える際には、個人の内的発達という側面から改めて霊性を考えてみるとどうなるか、
ということですね。
<まとめ>
■宗教と霊性を丁寧に分けて考えてみる。
それって宗教、それって洗脳、怪しい、危ないという思考停止にすぐになりやすい中で、思考停止にならずに考えてみる。
■実証主義的な科学では明らかにできない領域というものもある。
個人の内的な成長については、客観的に捉えにくい側面もある。
■宗教的ではないスピリチュアルへの注目が高まっているが、個人の内的体験や変容としての霊性について、ふわっとした理解ではなく考え抜いてみるとよいかもしれない。