そこにいるのだけれど発言しない人の存在
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不在の存在が場を動かす、ということが、結構興味深いなと考えさせられます。
あるコミュニティの中にいて、確かにいるんだけれども何も発言をしない人がいるとしましょう。
確かにコミュニティや組織に所属している。でも、何にも発言をしない。
本人にはいろんな事情があることでしょう。
特に言うこともない。
言いたいのだけれど、何を言っていいかわからない。
忙しくてそれどころではない。
話についていくので必死で発言できない。
などなど。
ですが、
不在の存在というのは、思ったよりも大きな影響力を持つものです。
どうしたら、彼/彼女のためになるのだろうか、
どうしたらスムーズな場になるのだか、
どうしたら楽しんでもらえるのか、など、
所属しているのだけれども発言しない人の存在に引っ張られることがあります。
黙っているということは満足していないのだろうから、どうしたら望み通りになるのかみんなで考えて行動しよう、という発想になりやすいのですね。
そうやって彼/彼女に目を向けていくことになります。
ただ黙ってそこにいるだけなのに、影響を与えることがある。
これはなんだか新鮮な気づきでした。
質量を持った何かがあり、場や空間の流れを変えたり、歪めたりするのだな、と。
確かにそこにいるのだけど、何もしないし、何も発言しない。そしてそれによって周囲の人や教育者も影響を受けてしまう。
それをケアするのは大切だと思うし、一方で、それをそういうものだと流して重要視しすぎないことも大切だなと、ふと思ったのでした。
<まとめ>
■組織やコミュニティに所属しているのに、ほとんど発言をしない人もいる。
■その場にいるけれども、自分のことを語らない人が、場や教育者に対して与える影響はとても大きい。
ともすれば、その相手のためにどんな教育が良いかを考えたりもする。
■そのような不在の存在に対して、過度に引っ張られることもなく、過度に批判することでもなく、全体を見て行動できると良いのではないか。