しつけられて失うものもある

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(Photo by rawpixel.com on Unsplash)

脅迫の教育学とも呼ばれるものに、しつけの問題があります。

「着替えないと、鬼が来るよ!」
「歯磨きしないと、虫歯で歯がなくなっちゃうよ」
「片付けないと、怪我するよ」

などなど、

まぁ、脅すようにして子どもに言うことをきかせることがあります。
もうすぐ2歳になる娘を育てながら、まぁ、言っちゃいますね。

しつけとは、子どもから自由を奪う行為ではないか、ということが言われています。

本来、子どもは自由な存在です。好き勝手しますし、粗暴もはたらきます。

そうしないように、型にはめるようにできることを制限していく行為が、しつけにあたるとも考えられます。

自由な発想、自由な行動をしてしまうのを制限すること、それこそが脅迫の教育学ともいわれるしつけ、です。

ではなぜ、子どもたちから自由な発想と自由な行動を奪う必要があるのか。

それは文明化された社会から子どもたちを守るためです。

道路を飛び出したら、車に轢かれて命を落としてしまう危険性があります。
包丁で怪我をしたり、家電製品で怪我をしたり、子どもたちの命を守るためにしつけが必要です。

それともう一つは、子どもたちから社会を守るためです。

社会であたり前とされていること、それを壊す力が子どもにはあります。
はだかの王様を子どもたちは見抜いてしまうのです。

しつけを通して、文明化された社会のふるまいを身体化させておかないと、既存の社会を保つことが難しくなるのですね。
これって変だよね、と革命や変革につながる可能性もあります。

だからこそ、しつけが行われます。

社会から子どもを守るため、
子どもから社会を守るため、

この2つがガッチリと手を組んで進むのが、しつけです。

社会と子どもではなく、組織と新人、地域とよそ者、に置き換えていただいても、構造は一緒です。

新しい組織の文化やふるまい方を知らないと、新人は恥をかいたり、不満を言われたりします。そこで自らをしつけにいきます。

これは自分を守る方法です。
そしてそれによって、組織の文化やルールも維持されます。

その場や組織に合わせて振る舞えるようになったというとき、振る舞えるようになったと、何かができる側面を強調して言うこともで
きますが、同時に、自由に発想したり行動することができなくなったと言うこともできます。

組織や文化に合わせて行動できることは、自由な発想と行動を制限することと隣り合わせです。

しかしまぁ、完全に自由というのは、社会に適応できずに精神異常と境がなくなってしまうのですが。

しつけが社会を守るために存在しているという側面を理解しておくと、組織や地域でイノベーションを起こす際のヒントになるかもし
れません。

組織や地域にあわせたふるまいができるようになるプロセスで、何が失われているのかをよくつかんでおくことです。

<まとめ>
■しつけは、社会に合わせた行動ができるようになる学習である一方、自由な発想や行動を制限すること、つまり自由な行動をできな
くさせる側面もある。
■基本的に、しつけは、本人を守るためという側面と社会を守るためという側面がある。
社会や集団を維持するために、私たちは社会からしつけられている。
■企業などの組織でも、地域などのコミュニティでも一緒である。
その組織やコミュニティに合わせたふるまいができるようになる過程では、自由な発想や行動が失われていくものである。
新参者が感じる最初の違和感や疑問は大切にしておくと、そこにイノベーションの種がある。

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