思考の脱同一化と直接経験

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ホリスティック教育学の考え方の中に、思考からの脱同一化があります。禅やマインドフルネスなどからきている考え方です。
私たちの日常生活は、過剰なまでに思考と同一化してしまっているのですね。

思考=私

という状態になっているということです。

自分や自己は、この思考であると思いがちかもしれません。
ですが、当然ながら、私という存在は、思考だけではなく、感覚も持ち合わせていますし、思考や感覚を超えた存在としてのBeもあります。

過剰なまでに思考と同一化することの何が問題かというと、すべてを思考や言語で処理しようとしてしまうことで、直接経験が駆逐されてしまうのですね。

あぁ、〇〇ということだね、
それは知っているよ、〇〇という概念で説明できるよ、

これは梅の花だね、
あいつは怒っていると思う、
上司は怖い、
あいつは営業が苦手だ、
自分は話すのが下手だ、

などなど、思考に満ちています。

経験を言語化することで、考えたり、相手に伝えたりできるのですが、過度に思考や言語に頼ってばかりいると、その時々の純粋な直
接経験を感じ取る力が下がります。

そこかしこに咲いている梅の花を、見ているようで見ていないのです。

あ、梅が咲いている、

という、その梅が咲いているという事実を思考しただけで、
その色や花の形、木の形、咲き具合、匂い、風にゆれる姿、木全体の大きさ、
そういったものを見ることも感じることもやめてしまいます。

梅が咲いているのを五感で感じるというのは、思考の働きではなく、感性的な側面ですね。

うわ、失敗した。

と思った時には、失敗したという思考に囚われて、現実の状況を適切につかめなかったりします。

相手の表情、相手の言葉、周囲の様子、そういったものを直接感じ取るのではなく、頭の中でぐるぐる繰り返される失敗や自責の言葉に支配されてしまいます。

相手を苦手だなと思っている時も同様で、頭の中をめぐる思考に囚われていて、相手のことを見ていない、感じていないということが多々あります。

それが、思考の過度の同一化の弊害です。

思考や言葉の世界を生きているのではなく、現実の世界を生きているのであり、感性や言葉にならない感覚、自然の一部としてのフェルトセンスを持って、直接経験を感じ取る力もあると良いのですね。

思考の脱同一化によってもたらされる境地は、とらわれのない状態です。
人はいろんな思考によって、現実を捉えるのを邪魔されています。

言葉や語彙を増やして、言語化能力を高めるのとあわせて、言葉にならないものを感じ取ることも大切です。

とらわれのない状態で、直接経験を生きるということですね。

<まとめ>

■私たちは、思考に過度に同一化している。私=思考の状態になりやすいのが現代社会でもある。
■思考の同一化は、直接経験を阻害する。思考に頼りすぎると、五感や体全体で感じ取るのをやめて、言語でわかったつもりになってしまいやすい。
■思考にとらわれていると、現実を見るのではなく、思考に沿って物事を見るということにもなりかねない。言語や概念を生きるのではなく、直接経験を生きることも大切である。

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