本と出会うその一連のプロセスも知を含む

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(Photo by rawpixel.com on Unsplash)

禅問答と教育について、とある原稿に執筆をしていましたが、もうちょっと禅問答のことを調べたいなと思って京大の図書館に行きました。

禅問答に関する文献を調べているうちに、
鈴木大拙『禅問答と悟り』春秋社、1975年
がおもしろそうだなと思って、京都大学吉田南図書館へ。
地下1階の書庫に所蔵されているので、そこへ行きました。

いつも本を借りるときは、借りようとしている本の周りの本も眺めるようにしています。それによって、どんな分野でどんな本が出版されているのか、おおよそのマッピングができるからです。

その点、京大の図書室のように蔵書が多いのはありがたいです。

同じジャンルで様々なタイトルや切り口の本があるので、視点も増えます。

京大を卒業した院生などが、京大の研究環境はよかった、図書室はよかったと言いますが、多分そうなんだろうなと思います。

中にいるとあまり実感はないのですが、それでも気になる文献は大抵手に入るのですからありがたいことです。

そして、今日の目当ての鈴木大拙『禅問答と悟り』を見つけたのですが、この地下1階の書庫のこの本が置いてあるエリアは、よくまぁ、こんな古い文献や怪しいものがたくさんあるなぁ、というくらいおもしろかったです。

もわっと立ちこめる古書の匂い。

古い紙で、もうずっと借りられていないだろうなという文献も多く、さらには仏教思想のエリアなので、よく読めない旧字のタイトルの本も多かったり、見ているだけで気分が悪くなるような宗教的なタイトルの本も多かったです。

デジタルでは味わえない、茶色く黄ばんで傷んだ紙とその匂い。

そこには、古くから受け継がれてきた知の一端がありました。

めまいもするような、
くらくらするような、
あやしさに触れ、

古い書籍と出会う喜びというのはまたいいものです。

別に中に書かれている内容はアナログでもデジタルでも変わらないのですが、

そうかぁ、この本はあそこで眠っていて、あんなジャンルの中に位置していて、そしてその背景には膨大な知がまだあるんだなという奥深さを感じさせてくれるのがいいのです。

その知の深さに誘われるように、探究と研究は続きます。

デジタルも体験、

アナログも体験、

その体験や出会いにこそ意味があったりしますね。

知りたいと思って、

調べて、
検索して、
精査して、
図書館に行って、
書棚から探して、
周りの本も眺めて、
そして本を借りて、
わくわくしながら研究室に戻ってきて、

そして読む。

この一連のプロセスの中に、知との出会いがあり、学びが埋め込まれています。

ただ机の上に置かれた本と、こうやって調べた本と、
はたまた、誰からか「これ絶対いいよ」と薦められた本と、
本や知との出会い方はまったく異なるし、そこからの学びも異なるんじゃないかと思います。

本を読んでいるんじゃなくて、世界を読んでいるのですから。

<まとめ>

■アナログの本、それも古書には、デジタルと違う匂いや魅力がある。

■知との出会い方が、インターネットのデジタルの世界とはまったく異なる。
その世界観や膨大な知の背景まるごとと出会うかのようにして、その知の世界に入ることができる。

■図書館や図書室には知がそれこそ、眠っている。
知の体系や知の歴史と出会う体験はしておくと良い。

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