学ぶ前にこれから学ぶことの意味はわからない

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今日は一般社団法人成れる会メンバー限定の特別講習で、「進化と学習の本質 ~コロナの影響下で進化しているか?~」というテーマをもとに話をさせていただきました。

本質的な話、
というのは抽象的な部分や考え方の部分も多くなるのですが、多くの方に参加いただき、参加者の方々からの質問も含めてとても有意義なやりとりができて嬉しかったですね。

今日はその中で、学びの性質として、
・学ぶ前にこれから学ぶことの意味はわからない
・何が学べるかわからないが自分をそこに投げ込む
という2点をお伝えしました。

学んでみて初めて、そうか、こういう意味だったのか、とわかるのが学びであって、学ぶ前からその意味がわかっているのは学びではないのですね。
ただの既知です。

学んでみないと意味がわからないので、事前に、
それを学んでどんな意味があるのですか、
それをやる意味があるのですか、
と問うのはナンセンスなんですね。

やればわかるよ、です。
やってみなければわからないよ、です。

つまり、何が学べるか、どんな意味があるか、わからないけれど、それを学んでみたり、やってみたりしたときに、初めて大きな学びが生起します。意味がわかるのですね。
それは意味を自分でつくり出すということでもあります。

最近は”学びのパッケージ化”が進んでいることが指摘されています。

これをやったらこれが学べる、
これに取り組めばこんな成果がだせる、
これをやればこうなれる、

というのをパッケージにして売り出すのですね。
そうすれば、売りやすいですし、学ぶ側も取り組みやすいです。
ふむふむ、こういうことが得られるならやってみよう、と。

学びのファストフード化、
学びのインスタント化、
と呼んでもよいです。

これはこれで一つの形、ひとつの極としてはよいのですが、本当に学び方を知っている人だったり、ものすごく上達する人であれば、咀嚼する学びにも積極的に取り組みます。

やったことがないことをやって、自分で意味を生成する。
何が学べるかわからないことや意味がわからないことに取り組んで、そういうことだったのかと意味を実感する。
新しい世界にどんどん飛び込んでみる。
そんなことに取り組むわけですね。

学習者にとって、未知という状態はチャンスでしかなく、その状況に飛び込むことは、怖さや不安をともなうものですが、そこに自分を投げ込むことから得られることは多いと思います。

いろんなことがオンライン化されて、接する人や情報の範囲も、心地よいものに囲まれていて、新たな世界に飛び込む、自分を投げ入れるという機会も、少なくなっているかもしれません。

だからこそ余計に意識して、咀嚼して学ぶ機会や、意味がわからないけれどやってみる、という挑戦をしてみることが大事なのではないかと思います。

<まとめ>
■基本的に、学びは事後に意味がわかるという性質がある。
学んだから意味がわかるのであって、学ぶ前に意味がわかっていたら学びは小さいものでしかない。
■学んだらこうなる、学んだらこんな結果を出せる、というようなパッケージ化された学びが多くなっているが、それで学べる内容や範囲は限定的であり、なおかつ意味がわからないのは講師や提供者のせいという状態を生みやすい。
■学習者が、意味を生成するプロセスこそが大切である。
咀嚼したり、考えたりして、意味をつくることに学びの価値があり、自分で生み出した学びは応用もきく。

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