医学教育者と子育て中の父親にこそ読んでほしい『82年生まれ、キム・ジヨン』
自分の中の大切な何かが、
ぎゅっとしめつけられるような感覚を味わいます。
これほどまでか、
これほどまでなのか、
と何度も感じながら読み、
生まれてきた命、
生まれてこなかった命、
わたしたちが迎え入れる命について、
思いをはせました。
韓国を舞台とした、
ジェンダー小説とも言えるのですが、
これはそう言って枠に納めたくない作品でもありますね。
1982年生まれの主人公キム・ジヨンは、
3歳年上の夫チョン・デヒョンと、
娘のジョン・ジウォンちゃんと3人暮らし。
突然、キム・ジヨンがある病気を発症して、
これまでの人生を振り返っていくと、
彼女の歩みを通していろんなことがわかってくるという物語です。
韓国社会で女性が生きるということは、
こういうことなのか、
これほどまでの苦労か、
というのを感じますが、
韓国でこの本が130万部も売れ、
共感を集めているということからも、
リアリティがあるということでしょう。
そう、リアリティがあります。
これほどか、
と思いながらも、
次第にこの社会の構造や人生を描き切っているリアリティがあります。
それは、
”女性の”生きにくさとも言えますし、
同時に”男性の”生きにくさでもあると言えます。
読みながら、ずっと頭をかすめていたのは、
日本の医学部入試の女性差別の問題です。
自分自身が、女性医師のキャリアヒストリーのインタビューを重ねながら、仕事の負荷と家庭や子育ての負荷を抱えて生きる人たちのことを思い浮かべたからでもあります。
そして、
この女子学生への差別や女性医師の抱える困難さの現象に対して、
声のあげずらさを感じているからでもあります。
この本を読んだ、
韓国の男性は、声が小さくなるそうですが、
日本の医療や医学部を取り巻く状況も似ているところがあるかもしれません。
それは、
これだから韓国社会はダメだとか、
医学部はダメだとか、
男性は何もわかっていないとか、
そういうことではなくて、
薄々わかってはいるのだけれども、この構造に対して、適切に語り得る言葉を持たないかのようでもあります。
声をあげれば、
どこかがぎくしゃくしてしまう。
そんな状況の中で、
誰もが、女性も男性も困難さを抱えながら、
必死に生きていて、
「そうは言ってもさ、どうしろっていうのさ。
正論だけじゃ変わらないんだよ」
というような感じでしょう。
かくいう自分が、
これらのジェンダーを取り巻く問題に対して、
適切に語り得る言葉をもっていないのです。
だからこそ、
キム・ジヨンの歩みを通して、
これほどまでか、
こんなことが続いていたのか、
とリアリティとともに改めて感じることになりました。
そして、
いかに自分がわかっていなかったかもわかりました。
夫のチョン・デヒョンにしても、
現代社会に生きる男性の生きづらさを、
よくあらわしています。
仕事だけではなく、
家事や育児も求められるようになっている現代の男性の中で、
なんとか妻のことを理解して、
自分も不満を感じつつも、寄り添おうとしています。
わかる、わかるよ、
チョン・デヒョン。
しかし、
彼が妻にかける言葉のズレっぷりや、
すれ違いなんかは、あるあるでしょう。
自分もやってしまったようなことや、
いまでもやってしまうことが、
いくつもあります。
たとえば、以下のやりとり。
「その「手伝う」っての、ちょっとやめてくれる?
家事も手伝う、子育ても手伝う、私が働くのも手伝うって、何よそれ。
この家はあなたの家でしょ?
あなたの家事でしょ?
子どもだってあなたの子じゃないの?
それに、私が働いたらそのお金は私一人が使うとでも思ってんの?
どうして他人に施しをするみたいな言い方をするの?」
やっと結論が出て一件落着したのに、またいきなり腹を立てているみたいで、キム・ジヨン氏はちょっと申し訳なく思った。
当惑顔で口ごもる夫に、先にごめんと言い、チョン・デヒョン氏は大丈夫と答えた。(p.137)
どうしてずれてしまうのか、
悪気はないのに傷つけてしまうのか、
わかっていない男性がほとんどでしょう。
仕事は大変だけれど、
家事も手伝ってうし、
子育ても手伝うし、
自分は妻のことを理解しているよ、
と悪気もなくいうのですが、
もう前提からずれてしまっているのですね。
手伝うという発想には、
女性が主となって家事や育児をするもので、
男性がそれをサポートするという前提が入り込んでいます。
これ、言っている本人(男性)は、
まったく悪気はないし、気づいてもいないのです。
自分が「手伝う」という言葉を発していることすら、
無意識です。
その何が悪いのかもわかりません。
自分がそうだったから、よくわかります。
次の場面はどうでしょう。
「僕は、僕も…僕だって今と同じじゃいられないよ。
何ていったって家に早く帰らなくちゃいけないから、友だちともあんまり会えなくなるし。
接待や残業も気軽にはできないし。
働いて帰ってきてから家事を手伝ったら疲れるだろうし、それに、君と、赤ちゃんを…つまり家長として…そうだ、扶養!扶養責任がすごく大きくなるし」(p.129)
子どもを出産するということは、
自分のキャリア、やりたかった仕事、遊び、様々なことを失うことも考慮しなければならないキム・ジヨンに対して、
失うことばかり考えるなよという夫チョン・デヒョン。
まぁ、恥ずかしい限りですが、
やっぱり自分もチョン・デヒョンが言っていることと、
同じような悩みを抱えていました。
今もまだ抱えているかもしれません。
出産・子育てによるキャリアへの影響は、
今の世の中では男性にも出てくるようになって、
その浅い部分で男もそれなりに悩んでいるわけですが、
それはやっぱり女性の悩みとは深さも質も違います。
ただ、女性と比べて男性の悩みはとるに足らないというものではなく、現代的な悩みとして扱うものだろうと、僕は思います。
こうして小説として接してみると、
いろいろ出てくる登場人物の言動と自分を重ね合わせることができて、
そういう気づきが得られるのがよいかもしれないですね。
お前(男性)はわかっていない、
お前(男性)が悪い、
というだけだと発展性はないですが、
私たちはわかっていない、
私たちの認識も社会の構造も現状を生み出している、
ということに気づければ、
違いをつくれるのかもしれません。
みんな生きるために必死で、一生懸命なんです。
仕事も家庭も子育ても、です。
その上で、
そうかぁ、こういうところがおかしいのかぁ、
というのをつかんでいけたらよいのでしょうかね。