「本質は同じ」と安易に考えないで

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いろいろな勉強会に参加したり、
本を読んでいる人の中には、
「本質は同じですね」
とよく言う人がいます。

そうですね。

本質は同じかもしれませんね。

しかし、
場合によっては、
安易な思考停止をもたらすワードでもあるので、
「本質は同じ」
というのは要注意です。


結局、あの本でも、
ここで学んだのと同じことが書かれていました、

あのセミナーでも、
ここで学んだのと同じ内容を言い換えただけでした、

同じことを言っていました、

と受け止めてしまうのは、

もったいないです。

木を見て森を見ずではないですが、

木を見て葉を見ず、

というようなことがおこります。

それは、
木を描く際に、
木の幹を茶色一色で塗り、葉を緑一色で塗るようなものです。

木はどれも似ていますね、と。

木の葉は緑。
木の幹は茶色。

光合成をして、エネルギーを作り、
種を後世に残す。

そうやって理解するからわかる部分もありますが、
逆に理解できなくこと、見えなくなるものもあります。

杉の木も、
イチョウの木も、
桜の木も、
桃の木も、
全部違います。

さらには、
杉の木だったとしても、
同じ杉の木は2つとありません。

葉の色は?
葉の形は?
幹の太さは?

全部違いますね。

木の本質はこうですね、
というのはよいのですが、
そこに囚われてしまってはいけないですね。

観察を阻害しますし、
学びを阻害します。

考えなくてすむので、
ついつい、
「本質は一緒ですね」
という思考停止をして、
木の観察をやめて、自分の中の木のイメージに同一化してしまうことがあります。

葉を見て、
幹を見て、
模様を見て、
形を見て、
色を見て、
そして描く。

これが力になるのに、です。

小学生の頃、
絵画教室に通っていましたが、
絵の先生に、「もっとよく見てごらん」と言われて、
目を鍛えたのを覚えています。

木は1つ1つ、全部違うし、
葉も1つ1つ、全部違うよ、と。

神は細部に宿ります。

さて、
人の理解や学びの理解に話を戻しましょう。

いろんなセミナーに参加したり、
本を読んだりして、
「同じことを言っている」
「本質は一緒だ」
と感じるのは構いませんが、
そこで思考停止になっていないかはよく考えたいところです。

本当に同じ言葉を用いているか?
本当に同じ理屈で説明しているか?
どんな体験や実例を挙げているか?

この小さな違いが大きいのです。

用いている用語や言葉が違ったら、
全く違うことを説明していると思って学んだ方が良いです。

安易に、本質は同じだと、
自分の理解しやすい言葉に置き換えずに、
その人や本が用いている言葉で一度理解してみることです。

もっと、
言葉や用語に注意を払った方が良いです。

言葉が違えば、
説明が違えば、
理論や概念が全く異なるということもあります。

人の経験談だって、
その人の考えだって、
まったくといってよいほど、同じものはありません。

その人が何を感じ、
何を学び、
何を考えてきたのか、
何が大切にしているのか、
よく観察していけば、
まったく違います。

小さなニュアンスの違い。
ささいな言葉の違い。

それらを捉えようとして、
理解することが大事です。

木の本質は一緒ですよね、
と幹を茶色で塗って、葉を緑一色で塗るような、
安易な捉え方をするのではなく、
細部の違いにもっと敏感になった方が、学べるものは多いです。

「本質は一緒ですね」
というものの、
そここそが、奥深く、多様性を秘めてもいるんですよね。

<まとめ>

■人の話を聞いたり、本を読んだり、学んだりすると、
本質は一緒だ、同じことを言っていると感じることがあるかもしれないが、
そこでわかったつもりになって思考停止をするともったいない。

■木を見て葉を見ず、みたいなことが生じるので要注意である。
神は細部に宿ると言われるように、
どんな言葉を用いているか、どんな説明をしているかに、
もっと注意を払う必要がある。

■言葉や用語や説明といったことに対する感度を高めたい。
同じようなことを言っている場合、
使っている言葉や考え方の細部は異なっているはずなので、
その違いや言葉にも注意を払いたい。

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