覚えてもらえている、という喜び
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先週、親知らずを抜いたのですが、その抜いたところの糸を抜きに、今日は口腔外科へ行ってきました。
糸を抜くこと自体は、すぐ終わりますし、痛くもないのでよいです。
部屋に入ると、先生が、
「前回は大変でしたね。だいぶしんどかったでしょ。結構大きい歯を抜きましたし、力もかかったので、結構腫れたんじゃないですか」
と声をかけてくださいました。
そうそう、
前回、親知らずを抜くのは、結構大変でした。
印象的な経験だったので、noteにも記事にしています。
↓
https://note.com/tane1985/n/n8e4c12952038
今回は糸を抜くだけなので、気軽に行ったのですが、前回のことを先生は覚えていてくださったのだ、というだけで嬉しくなりました。
共感というものの基本だと思うんですよね。
口先だけではなくて、しっかり覚えていて、そのことを言葉にされるというのは素敵なことです。
おかげで安心して治療をしてもらうことができましたし、とても気持ちよく病院を後にすることができました。
さてさて、
覚えていてもらえた、と感じさせることには価値があります。
こう書くと、テクニックやノウハウ的に響くかもしれないですが、相手のことを実際に覚えている、そして、相手に覚えていてくれたのだと感じさせる、という2つの意味において大事だと思います。
覚えてもらえていなかった、無視されていた、自分の存在を軽視されていた、
というのは、とても悲しいものです。
相手のことを覚えていて、実際にそれを言葉や態度で表現して伝えることで、信頼関係を築いたり、相手と気持ちよく時間を過ごすことができます。
サービスにおいてもそうですし、教育においてもそうでしょう。
相手のことを覚えていて、
前回どうだったのか、
相手がどんなことに悩んでいたのか、
相手がどんなことを大切にしていたのか、
それに寄り添いながら対応することで、
信頼関係を築いて、学びを支えることができます。
学習者の人数が多いと、なかなか一人一人を覚えているというのは大変かもしれません。
それでも、
だからこそ逆に、
こんな大人数の中で自分のことを覚えていてくれた、見ていてくれた、
というのが伝わるのは大きいですね。
相手のことに関心を持つこと、
興味を持って関わること、
覚えていること、
言葉や態度で表現すること。
そんなあたり前の大切さを感じたのでした。
<まとめ>
■覚えていてくれた、見ていてくれた、わかってもらえていた、というのは大きな価値として本人の中に残る。
■覚えている、気にかけている、というだけではなく、それを言葉にしたり、態度で表現して伝えて、相手に伝わることも重要である。
■サービスでも教育でも同じで、相手のことに関心を持っていて、ささいなことでも覚えておくこと。そしてそれを伝えていくことで、お互いの関係をよりよいものにして、学びや成長を促すということにつなげていける。