『シンギュラリティは近い -人類が生命を超越するとき-』
本書が出版されたのが2016年4月。
もうすぐ9年が経つが、その間も本書出版後のテクノロジーの進歩と生成AIが私たちの生活に浸透してきた。
発明家であり、人工知能に関する技術を有するレイ・カーツワイルが主張する世界は、SFのような世界でもある。
本書のキーワードになっている、シンギュラリティについては、以下のように説明がされている。
シンギュラリティとは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している。シンギュラリティ以後の世界では、人間と機械、物理的な現実と拡張現実(VR)との間には、区別が存在しない(p.15)
人間とテクノロジーが融合し、
生物としての基盤を超越する世界が到来する、
という未来予測である。
人工知能(AI)が人間の知能を超えるか、それはいつか、
ということが注目されるが、
本書の指摘を踏まえれば、
さらに進んで、人間と機械の融合は、
それどころではない変化をもたらすという。
例えば、
機械工学やナノテクノロジーの発達は、
身体にチップを埋め込むことや、体内をナノロボットが移動することが、
あたり前になる未来すら予測させる。
生命倫理の問題に深く関わってくるが、
昨今の美容整形による身体改造、生体移植などと合わせて考えれば、
私たちの身体に手が加えられていくことへのハードルも下がっていくのかもしれない。
メガネやコンタクトレンズを常に用いる人は、
道具による人間の能力の拡張があたり前であるし、
義足や補聴器などとの融合も身体の拡張と捉えることができる。
それでは、そのような道具と機械の埋め込みは何が違うのか、という問いもまた本書では投げかけられる。
機械やテクノロジーの加速度的な発達はとめられるものではなく、
私たちがそれらとどう向き合っていくかが試される時代がくるだろう。
それも、おそらく、多くの人が想像しているよりも早くである。
シンギュラリティが実際に近いとして、
どのような人間と社会を望むのかについて、
問い続ける必要があるだろう。
出版後9年経ってもなお、本書が示す未来に対しては、考えておかなければならないと思わされる。