『学びのためのカリキュラム論』
学習の履歴としてカリキュラムを捉えてみたいなと思って、カリキュラムに関する概念を調べ中です。
計画されたカリキュラム、実践されたカリキュラムではなく、学ばれたカリキュラム。
松下佳代先生の研究の、
子どもは、学習塾での学びを、学校の教室空間にどう持ち込み、授業や学びにどんな影響を与えているかという分析、おもしろかったです。
塾でやった、解ける、知ってる、という姿勢(効率的に解を求める姿勢)、
学校の授業で扱う、解き方を考えよう、どうしてそうなるのかを考えようという姿勢(探究の姿勢)、
それらが子どもの経験としてどう折り合っていくのか/あるいは折り合わないのか。
たしかに、実践されたカリキュラムは、
学び手のアイデンティティや文脈によって変化するので、
どう学ばれて、学習の総体(学習のカリキュラム)となったかを分析することで、教育実践を振り返れるというわけですね。
個人的には、
生涯キャリアという概念を用いて、
学習のカリキュラムを広く生涯学習の観点から捉え返したいと思っているので、参考になりました。
本書が出ているのが2000年なので、「学習経験の履歴」へと再定義した後、この20年間の変化もまた整理しておきたいところです。
コンピテンシーやアウトカム基盤型教育に影響を与えてきたであろうことは想像できるのですが、なんとなく、それとは違う道もありそうな気がしています。
"カリキュラム研究においては、1970年代以降、「教育内容の計画」から「学習経験の履歴」へという「カリキュラム」概念の再定義が行われてきた。
「学習経験の履歴」とは、一人ひとりの学び手の「個人誌(biography)」の中に位置づけられる学習経験の総体のことである。この意味でのカリキュラムを、ここでは「学習のカリキュラム」と呼ぼう。"(p.43)