呼ばれることが成長につながる

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(Photo by rawpixel.com on Unsplash)

昨日は、舞鶴に向かって車を走らせながら、こうして地域に呼ばれるというのはありがたいことだなと思いました。

常々、地方を旅しては、その土地、その土地での暮らしや生活があることを想像し、この地に住んだらどんな人生になるのだろうと思いを巡らせています。
都会とはまったく違った文化や生活があることでしょう。

舞鶴はそれなりの規模の市ですが、縁やきっかけが何もなければ、そこの人たちやそこの人たちの暮らしと接点を持つことは、僕にはないと思うのですね。

日本全国を考えてみれば、接点のない地域や地方や市区町村ばかりです。

今回は縁があって、講師として呼んでいただいて、そこで話をし、ともに考え、悩みや気づきを共有し、ともに食事をさせていただきました。

呼んでいただけるということは、そのまま成長機会だなと感じます。

これまで知らない地域を知ることができ、
そこの土地での暮らしに触れることができ、
その地域の風土や空気感にも触れ、
さらにはその地の人の考え方にも触れます。

なかなか旅をしても、ここまで人と関わりを持つことはないわけで、呼んでいただいて、そこで人と関われるというのは貴重な機会ですね。

初めてお会いする方々に対して、

どういう内容だったら響き、
どういう内容だったら伝わり、
どういう学びが求められているのかを探りながらで、

とても考えさせられるわけです。

いつもの場所、いつもの相手、いつもの内容ではないですから、アウェー感もあります。そこには緊張感もあります。

もちろん、教育の仕事においては、常に参加者の状態も教育者の状態も変わるので、いつも新鮮なのですが、とくにいつもと違う場だと余計にその新鮮さは際立ちます。

ですが、呼ばれた状態であれば、そこには橋渡しをしてくださる方がいて、アウェーのような、そしてどこかホームのような心地も漂います。

まったくのアウェーに陥って自分を出せないのではなく、まったくのホームでなぁなぁになるのではなく、程よい緊張感とリラックスのバランスの上に成り立つ学びの場ってあります。

文化や文脈が違うところで話をする際、そうやって呼ばれて、橋渡しをしてくださる方がいるというのは、とてもありがたいことですし、その一連のやりとりから学べることが多いです。

僕は、呼ばれるということの中には成長機会がたくさんあると思っています。

依頼があるということは、何かしらのニーズやウォンツがあり、それを実現させようともがきます。
その縁を用いてチャレンジすることもできます。

呼ばれるということは、相手からはこちらの何かを引き出そうとしているケースも多く、自分の思ってもいなかった力を引き出してもらえることがあります。

自分から呼ばれて出て行くことで、相手のことや相手の世界のことを知ることもできます。

今回は、地域からセミナーの講師として呼んでいただいたという文脈で話をしていますが、他の仕事でも一緒でしょう。

予期せぬ依頼、思ってもみなかった誘い、なんとなく誘われていった場所。

仕事で遊びでも、呼ばれるということは、成長機会を内包しています。

呼ぶというガイドや案内の力がそこには働いていますし、自然と「自分から出かけていく」構造になりますからね。
そこには未知もたくさんあることでしょう。

困っていてなんとかしてほしい、
助けてほしい、
面白そうだから一緒に行こうよ、
そうやって飛び込んでいくことで、

知らなかったことに触れ、
自分の世界が広がり、
自分の力も引き出されていきます。

呼ばれることは、とても嬉しいことですね。

<まとめ>
■呼ばれるということには、成長の機会がある。
仕事の依頼、遊びの誘い、そこにはガイド(導き・案内)の力が働いている。
■いったことがない地域・業界・世界・会社などでは、アウェーの緊張感があるものだが、呼ばれるということはどこかホーム感も漂うことになり、そのバランスの中で引き出されるものがある。
■求めに応えること、それは力を引き出すことでもあり、力を伸ばすことでもある。
呼ばれる状態にあるということは、関係性もあり、自分の引き出され方をつかめていることでもある。

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