言葉と対話が世界をつくる

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言葉を扱うこと、
対話をすること、
それは現実をつくっていくことにつながる。

言葉が現実をつくるとか、
思考が現実化するとか、
どこかで一度は聞いたことがあるかもしれません。

私たちは、現実を個々人が観たいように観ていますし、捉えたいように捉えています。

真理や真実が一つあるというわけではなくて、その文化や共同体、言語のやりとりの中で現れてくる中に、認識や現実が置かれているのではないか、と捉えます。

んー、難しいですね。

要するに、

人や文化によって、価値、ものの見方、真実、意味は様々ですよ、

ということです。

特に「意味」というものがやっかいです。

意味は、人それぞれ、文化ごとに違うわけですからね。
意味は文脈に埋め込まれていますし、文化の影響を強く受けます。

社会的な背景、時代の流れ、コンテクスト、そのようなものと切り離して意味を考えることはできないのですね。

このような見方が、構成主義や構築主義のベースにあります。

意味があるかないかは、人それぞれ、文化によっても異なる、そうなっていくと、文化相対主義に寄っていきます。

あなたはあなた、私は私。
違うので干渉しないでね、です。

みんな違ってみんないいは、
いいようでいて、ちょっと困った事態を引き起こします。

私は人を殺したい、
とか、
戦争をすべきだ、
という意見に対して、

あなたは人を殺したいと思っているのだからお好きにどうぞ、とは言いづらいですね。

みんな違ってみんないいという相対主義を突き詰めていってしまうと、どうして私が人を殺すのはダメなの?という疑問が浮かびます。

みんな違ってみんないい、
なんだけれども、私たちは社会をつくって生きているわけだから、どうしても相互に生きていける現実を描く必要があるのですね。

ここに対話が求められてきます。

あなたにとっての意味や価値があり、私にとっての意味や価値がある。
あなたの認識と、私の認識は違う。意味も違う。

じゃあ、どうやって生きていくか、意味や価値を生成するか、というときに、対話ですよ、となるわけですね。

何を回りくどいことを言っているんだと感じるかもしれませんが、私たちは、現実や社会をつくっていきます。

唯一絶対の正義や価値があるわけでもなく、人それぞれでバラバラの正義や価値があるわけでもなく、みんな違うし、人によっても文化によっても、意味や捉え方は違うのだけれど、対話によって新しい意味が立ち現れてきますし、現実や社会が構成されていきます。

勝ち負けの議論、
正義と悪の議論、

そこに唯一解があるわけではなく、人や社会の数だけ立場も認識もあるのですが、そこから言葉のやり取りによって認識の枠組みを変えたり、現実を構成していこうよ、という思想があります。

言葉が現実や社会をつくる。
人と人の相互作用の中に、現実が生まれてくる。

分断が大きくなったり、正しさが主張されるようになったりする中で、言葉を紡いで、対話をすることの重要性はいくら強調してもしすぎることはないのかと思います。

<まとめ>

■意味や価値は人それぞれ、文化それぞれである。
正しさや正義に唯一解はなく、人それぞれの意味や価値がある。

■唯一解なき世界においては、相対主義になりやすい。
みんな違ってみんないい、だから、お互いに干渉しないでね、となると、それはそれで分かり合えない世界にもなる。

■言語と思考が現実をつくるのであり、ともに生きる私たちに必要なことは、対話である。
みんな違うのだけれど、言葉を通して、現実や社会をつくっていこうという思想が、構成主義や構築主義にはある。

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